時代を俯瞰する

中公文庫の旧版「世界の歴史」全16巻を近現代の15巻から読んでいます。表紙には1935年ナチス総統の肖像画描かれいて、第二次世界大戦の辺りです。(肖像画として優れてはいますが、写真はカバーは外して撮りました)この絶版の歴史書には、どうも縁があるようです。

 

出会いは17歳

先日、2022年にお亡くなりになった社会科の恩師のことを書きました。(「はじまりの記憶・自立」)授業のたびに、視界が開ける視点を提供してくれていた先生が、自分の世界史の担当ではないとわかったとき、職員室(正確には社会科室)に駆け込み質問しました。どうしたらいいのかと尋ねた際に、先生がおっしゃったのが中公文庫の「世界の歴史」を読みなさいということでした。早速、名古屋は栄の大型書店丸善に行ってみると、16冊の重厚な文庫が並んでいました。当時の僕は、それを一度い全部買う勇気がなく、「第1巻・古代文明の発見」だけを買いました。万里頂上が描かれた表紙を開くと、次の文章がはじまります。

北京猿人の発見
洞穴の奥から
人類の祖先が大むかし自然の洞穴の奥ふかいところに、たいまつをともして住んでいる有様がよく絵にかかれている。こういう絵が、いったいどういう根拠を持ってかかれたのか、わからない。多分に想像をまじえたものであろうが、それが科学的な発掘によって、たしかに事実とみとめられるようになったのであるから、人間の想像も案外ばかにならないものである。

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わかっていることを記すにとどまっていた教科書とは違う、まるで発掘現場のドキュメンタリーのような出だしに驚きました。そうそう、先生の授業は、こういう人類を俯瞰した視点からはじまっていたことを思い出します。
しかし、情けないことに16歳の僕は、わずか1巻で本書を挫折してしまったのでした。その後、世界の学習はあまり面白くもない穴埋め問題をするため暗記科目になってしまいました。

ただ、頭の片隅にずっとこの本のことが引っかかっていて時を経て再度巡り会います。

33歳留学前の再会:全巻入手

2011年に会社を退職した後、時間に余白があったので読みたいと思いました。しかし、すでに本書は絶版になり、新しい世界の歴史が全30巻で出ていました。古本で購入し、留学へ向かうため全て裁断しPDFにしました。旧版は1974年に出版されているため、未だ冷戦は終結せずベルリンの壁も存在しています。たしかに、古いといえば古い。しかし、歴史を通して概要を掴むには30冊は少し多すぎる気もします。また、とある記事で作家の村上春樹さんも、この旧版を繰り返し通読していると語っておられます。

2回目の全巻入手

それからまた月日は流れて2023年。今度は、先生の訃報を耳にして、そういえば世界の歴史と思い出しました。また、ロシアとウクライナの戦争の歴史的背景を理解する上でも、100年単位で時代を俯瞰してみる必要があるのではと考えました。裁断されたPDFより、物理的に存在して時々手に取るきっかけが欲しいとも思い再び古本を購入しました。また、自宅に所蔵していつか子どもが大きくなったときにも手に取ってもらえたら嬉しいです。

時代をつなげて見る姿勢

日々、たくさんの情報が容易に手に入るようになった錯覚があります。しかし、自分が暮らす近辺だけの狭い情報へのアクセスに偏っている気がしてなりません。かつて、恩師であった宇野先生は、ドイツ元首相のワイツゼッカー氏のスピーチを引用し、過去に学ばない人は同じ過ちを繰り返す、とおっしゃっていたのを思い出します。今起きている事象につながる出来事は何であったのか。人の変わらない本質や本性にはどのようなことがあるのか。歴史を少し紐解くだけでも、ヒントがあるのだと思います。そういう視点を学ぶには、中公文庫の旧版「世界の歴史」は未だに健在だと思うのです。