卒業の光と陰

今日は神奈川県の公立高校で卒業式が行われるそうです。

自分自身、そのようにやってくる卒業という切り替わりの季節がなくなって20年以上がたちます。

ときに、所属組織を自分の都合で辞めることも、卒業と言ったりします。以前は、若干の違和感があったのですが、最近ではわかるような気がしてきました。

数年前に、ある関東にある大学のキャリア関連の授業で一コマ話させていただく機会がありました。お伝えしたかったのは、ポジティブに逃げる、ということでした。明日への活力を残して、そこから旅立つ術。

その場では、できなかった裏表を含めた、自分の話をしたいと思います。

会社を退職した理由は表向きな理由と裏の理由とありました。裏の理由は、割と組織のどろどろとした気持ちのよいものではありません。一言で言えば、それはモラハラでありパワハラ。当時は、相当そのことで腹を立てたり、傷ついていたりもしました。本来は魅力のある職場でしたので、余計にその状況が自分としては許せなかった。とても待遇もよく、辞めることは考えにくかった。

そんなことで悶々としていた2011年3月11日。東日本大震災が起きました。人間の力ではどうにもならない出来事が起きてしまった。一方で、自分で決められる方向もある。とするなら、できるだけ自分で決めたい。そう思いました。

そう思っても、その後も気持ちは揺らぎ、Steve Jobsのスタンフォードでの演説を聴いて、自分で打ち込んだ決定のドットが繋がり線になるかどうかは、未来でしかわからない、というフレーズを何度も反芻していました。ちょうどそうして過ごした3月の半ば、会社の日本人だけで行われた送別会でひどい出来事があり、もはやこのことはこれ以上考えることなく結論が出たことは不幸中の幸だったかもしれません。

それ以降、そのことよりも、ポジティブな変化を意識するようになりました。

1年前にロンドン芸術大学の入学許可を取っていました。まずは渡って基礎を学び、2年目から修士課程に入学する計画です。ネガティブな要因の他に、昔出張で行ったロンドンに若いうちに住んでみたい、という望みがありました。理由は、一言では難しいですが、街に体験したことがない文化を感じたから。

面白いもので、ポジティブとネガティブな要因は表裏一体のようなもので、ネガティブが強くなるとポジティブ側をなんとか大きくしたくて育てようとしてきました。その場で潰れないように自分の活力を養う動きが備わっているのかもしれません。早めに動き出していたのは、その部門で働きはじめてまもなく、直観的に息苦しさを感じたことが理由でした。

逃げるなら、逃げた先で希望が膨らむ逃げ方をしたいです。結果的に、卒業とは言い難く、逃げたわけですが、自分の意識は「前に進んだ」「横に転換した」という認識です。

ロンドンに移ると、もう以前のネガティブは忘れて希望のあることばかりをしました。そこから10年以上が経ちましたが、いい事が圧倒的に多いです。妻と出会いましたし、猫とも出会い、子どもも授かり、仕事もより面白い方に転じました。

道を変えるとき、辞めるとき、それは裏にはドロドロとした陰が必ずあるんじゃないかなと思っています。でも、それを許容してしまうくらいの明るい光が同時あると、いつの間にか楽しいことの方が大きくなって負の記憶もまあよかった、全体として幸せな選択をした、と塗り変わってしまうものなのだと思います。

これからもそういう意識で生きていきたいと思います。