競争のためではなく、自分にとっての意味を問う子育て。ひぐちみちこさんの手記より

絵本で著名な「こぐまちゃんシリーズ」や「11ぴきのねこシリーズ」を出版しているこぐま社の会員になると、「こぐまのともだち」というフリーマガジンが送られてきます。

今回は、No.74号(2019年Spring)の中に掲載されている「ひぐちみちこ先生の『のびやか育児』のすすめ」がこころに響いたので書いてみます。

子どもとかつて子どもだった自分の両方に向けたまなざしを持つことができました。

「将来に備えるため」は動機づけとして面白くなく弱い

物質的にも満ち足りていて、「もっと、もっと」という時代のなかで、親も煽られ、「将来うまくいく準備のために今日がある」みたいな錯覚をしてしまうのも無理はないと思うんです。でも、どんなに備えても、将来が保証されるわけではありません。そう考えると、「今をその子が生きている」、ただそのことを喜ぶほうが、実際に子どもの生きる力になると思うのです。

どんなに備えても将来が保証された時代は、具体的には終身雇用で賃金が伸び続けたことを指すのでしょう。しかし、すでに終わっていると思いますし、歴史的に見ても極めて限られた時期だったのではないでしょうか。

ものは考えようで将来に備えることをめざしてやるのではなく、いま生きていて楽しいや好きに対してこころを開いていることが、結局は将来に備えることにも繋がるのではないかと考えます。

「なんのために」に気づける寄り道やよそ見を促す

─勉強ということでいうと、今は、文字の読み書きができるようになる時期の早い子が増えていますし、それが早ければ早いほど、大人たちは喜んで、このまま頭のいい子に育ってくれたら……などと、勝手な期待を抱いてしまったりします。こんな風潮を、どうお感じになっていますか?

大人は、成長を目に見えるかたちにして確認し、自分が安心したいのよね。実際に、三歳で文字を書けるような子もいるけれども、大切なのは、なんのために文字を書くのか?ということです。


「なんのために」ということが大人になっても大切であることを改めて思います。自分自身を振り返って、「なんのために」に対する動機が曖昧なことは人並みにすらできないことがよくありました。

僕は、2014年から会社組織を離れて仕事をしています。組織にいたときには、やるべきことは自ずとまわりにありましたし、自分がすべてを決められるわけもなく面白いことも微妙なこともどちらもありました。

しかし、いまはその裁量がほとんど自分にあることで「なんのために」がより明確に迫ってきます。例えばただお金のためだけに仕事をすると、最初はそれもゲーム感覚で面白いし、自分で獲物を仕留めたような気分にもなるのですが繰り返すうちに残るのはお金、それも循環して出ていってしまうわけですから虚無感がやってきます。

なんのためであるのか、いつも自問自答しています。思うにこれからの時代は、働く期間も長くなるといわれていますし、金銭的な豊かさだけでは持続性が失われるでしょう。より自分を駆動させるためのエネルギーのもとになる「なんのために」を問い、自分で答えていく場面が増えるでしょうね。

動機が自分の外にあるのか内側にあるか

文字を習得することの本質は、自分の喜びとか悲しみといった感情を、言葉で表現できるようになるということですよね。言葉をどう獲得していくかということは、技術ではなく、人間関係なのです。

親が子どもに字を学ばせたい理由が、「人に勝たないといけないから」とかだったら、その子はずっと競争のためにいきていかなきゃいけないでしょう。

この部分は、大人にもまったく同じことが当てはまると思います。

得た知識や技術をなんのために使うのか?自分の中に、楽しい、好き、あるいは使命感のようなものがないと、評価の基準を絶えず外側に持ち、一喜一憂する時間を過ごすことになります。

このあたり、これまで見聞きしたいくつもの考え方と繋がってくることに気が付きました。

有名どころではスティーブ・ジョブスのスタンフォードでのあの演説の中にある次の箇所。ひぐちさんが仰っている「競争」は、それこそ他人の評価という他人の設定した価値軸の上で人生を展開していくことでしょう。

「無駄に他人の人生を生きないこと。ドグマに囚われないでください。それは他人の考え方に付き合った結果にすぎません。他人の雑音で心の声がかき消されないようにしてください。そして最も大事なのは自分の直感に従う勇気を持つことです。直感とはあなたの本当に求めることを分かっているものです。それ以外は二の次です。」

https://www.kakiokosi.com/share/business/87

先日、デザイナーだったヨーガン・レールさんが述べていたこととも繋がりました。

「自分のつくるものが”大事”か”大事じゃない”かということを、私は気にしています」

(西村佳哲著「自分の仕事をつくる」, P181)

ヨーガンさんは、ほんの短い期間だけ使われるものや売れるものをつくることには意味を感じないと述べられています。なんのためにデザインして表現しているのか、そこにかっこたる美学があるからです。

「好き」はギフトである

子どもにとっては、「こういう子だから」とか「こういうことができるから」という一切の条件なしに、その子がどんな状態でも、その子のことを喜んでくれる人が身近にいるということが一番うれしいわけです。

「できる/できない」にこだわったら、その子の喜びを消すことにしかなりません。たとえば、「優しくってもなんにもならないよ」とか「笑ってばっかりじゃダメなのよ」とかね。でも、その子が好きなものというのは、私たちが与えたものではなく、本来その子が持って生まれたもの。それを否定された子は、やっぱり早いうちから他人のことも否定するようになるでしょう」

子どもが好き、楽しいと思うことは貴重なことなのです。

身近な例でいうと姪を見ていると、ゲームや動画に夢中になっています。あまり小さなころからゲームに夢中なのはとやはり僕も心配になりますが、そういえば、僕も小学生のころはファミコンをやりすぎて学校から家庭に指導がはいったりもしました。不思議なことに40代になった今、ゲームに対する情熱が全く無くなってしまい、やろうと思っても全然長続きしません。あんなに楽しかったのに…。ゲームの好きも、つくり手の視点まで面白がれたらいいのでしょうね。って、これもう大人の将来に備える視点です・・・。

まあ、それは余談ですが、好きなものは持って生まれたものや環境の両方から育まれもすると思います。

写真家でエッセイストでもあった星野道夫さんは次のようにもいっています。

短い一生で心魅かれることに多くは出合わない。もし見つけたら大切に、大切に…

NHK「知るを楽しむ」

好きや楽しいを蔑ろにすると、やっていることに対して愛や熱が足りなくなります。

ひぐちさんは、大人の最大の役割は「子どもの命を守ること」とも述べておられるので、その意味では、子どもの命に関わることには注意しつつ、好きを見守り、ときに誘発するような子育てをしていきたいなと思いますね。

 

参考リンク

こぐま社