30歳代の僕のヒーローは星野道夫さんでした。エッセイ集「旅をする木」がそのきっかけで、2008年頃に千葉県で行われた展示会にも足を運びました。写真よりも、僕はより文章に惹かれます。
入社6年目から務めていた会社の中国法人に勤務していていました。上海ではじめての海外長期生活の伴にも星野道夫さんの著作を数冊持っていき、慌ただしい毎日の休息に手にしていました。
その頃、年に一度、会社の負担で帰国できるリフレッシュ帰国の制度がありました。人事面談が合わせて実施されますが、その後一週間程度は有給休暇になります。
2010年12月に上海から羽田空港経由で帰国した際に、ぜひ行ってみたいと思って訪れたのが千葉県の本八幡にあって星野さんが生前行きつけにしていた螢明舎でした。
ちょうどNHKの特集で星野さんの撮影が行われた直後ということもあり、「放送で使われたのはほんの数分だけど、実際は2時間くらい話した」といったお話を伺いました。
僕は、2008年に星野さんのエッセイに触発されてアラスカのフェアバンクスに友人と旅行に行っており、その圧倒的なスケールのフェアバンクスや北極圏の風景に感激して以来、元々好きだった写真にもっと本格的に取り組んでみたいなと考えていました。
カウンターに座った僕に店主は本当にたくさんの話しをしてくれました。きっと同じように星野さんに憧れて来店される方が多いのでしょう。カウンターの一番奥に座りに来るお客さんがたくさんいるよ、とおっしゃっていました。
僕もそのとき、これからの進路として会社を辞めて、写真を学んでなりわいにしたいといったようなことを話しました。
ふんふんと聴いてくれていましたが、人の真似をしないで自分の道を探していくのがよいよ、と。星野さんにとっては、それがアラスカだったけれど、君にとってのアラスカは自分で探さないと、意気投合したのを記憶しています。
薄暗かった店内で丁寧に淹れていただいたネルドリップのコーヒーを楽しみながら、星野さんのことや店主の美大生時代、僕の人生と一時帰国でしたが、お店に行ってよかったと思いました。(コーヒーは大事にゆっくり飲むべしと指導されました・笑)
それからしばらくして2011年3月が来ました。東日本大震災がやってきました。甚大な被害が上海にいた自宅のテレビに映し出されると共に、自分の人生を後悔しない用意踏み出さないと行けないと確信し退職を告げました。
それからロンドンの芸術大学に2年間留学し、インドの大学で半年生活し、現地で猫に出会い共に帰国し、留学中に知り合った妻と結婚し、子どもにも恵まれました。
ロンドンもインドも僕にとってのアラスカ的な場所ではなく仮初めの場でした。僕にとってのアラスカってなんだろうと今でも思いますが、もっと近く、それとも、それは暮らし方のことを意味しているのだろうなと最近は思います。星野さんは、大都会も大自然もどちらも好きだと言っていました。そこに暮らす人々の生活が息づくところはどちらも好きだと。
そういう意味では、自分の暮らす場所がアラスカ的な場になるためには、暮らしの中で生活環境、身体とこころをトータルで整える必要があるのかなと思っています。そんな取り組み増やしていきたいものです。