葉山生活での変化 子どもへのまなざし

今回は、葉山に越して4ヶ月が経過して感じている子どもとの関係性について書いてみたいと思います。

以前、保育園の登園拒否ぎみの子どもにストーリーで促して楽しく登園できるようになったという話を書きました。

その時のポストでは書いていませんでしたが、葉山に引っ越してからも子どもがぐずったとき、僕はもっと子どもに対してきつくあたってしまいました。きつく対応することで、より機嫌が悪化する。妻も、一度ですが行きたがらない保育園に無理に連れて行ったことが、よくないことだったと言っていました。

葉山に越してきてからも、それはありました。しかし、あるタイミングから変化があったように思います。

海、山、畑が教えてくれること

変化が起きはじめたのは、小さな畑で野菜や果物を育てはじめてからではないかと思っています。

小さな畑をはじめて、予定通りになんて、全然ならないことを実体験しはじめたから。そして、時間がひたすらかかる。

土を育てるのにかかる時間、撒いたからといって必ずしも芽が出るとは限らない野菜たち。苗には油断すると、虫がついてすぐに食べられてしまいます。

強い風が吹けば、弱い苗や木はくたっと倒れてしまう。水がないと育たないし、日光は天気に左右される。

そんな畑の前には、古代人が古墳を作った山が聳えていて、木々が茂っています。僕なんかが一生生きるよりもずっと長い時間をかけて、育ち、循環する目の前に見る緑のかたまり。

空を見上げれば、確実に流れていく雲、ゆったりと舞っているトンビ、浜辺に行けば絶えず不規則に寄せては返す波、と確実に時間が経過していることだけは感じられる。

大きなものの中で生かされていていることを感じざるを得ません。子どもが大人が立てた計画に従わないくらい、なんてことないと思いはじめました。

全体の中では時の流れに逆らえない

友人の稲葉俊郎さんは、著書やインタビューなどの中で、「全体性」という言葉をよく使っています。

稲葉:遡ると、幼少期に言語を習得していたときでしょうか。言葉を覚えることで、その物事についてわかった気になる感覚に、強烈な違和感を感じていたんですよね。言葉によって物事を概念から把握して、言葉にならない何かが抜け落ちてしまっている感覚に危機感を抱いていました。
自分の子供を見ていても感じるのですが、子供って全体を全体のまま把握しているんですよね。同時に、私たちは言葉を覚えることで何かを失ってきたのではないかとも感じるのです。[エコロジカルミームのインタビューより抜粋]

人間の身体は自然そのもの。自然と向き合っている農家や漁師など、第一次産業に関わる人たちは、常に他の生命の営みに気を配りながら全体的な見方をしていると思います。医者も彼らと変わらない。人間を自然と同様に全体性から捉える。[エコロジカルミームのインタビューより抜粋]

僕も、子どもはこの全体性の中で純粋な流れの中で生きているのかな、と思うようになりました。それは、自然の中にある、僕たちが葉山に来てから感じているあらゆる流れと通じている。

もしかしたら、東京の時には感じていなかったものが子どもには強く作用して、もっと自分が自我が強くなったのかもしれません。

所属する仕組みの中で、スケジュールに沿って暮らしている大人にとっては困ることであっても、本当は全体性の流れの中ではごく自然なことかもしれません。むしろ心身にとっていいことです。

本当に悪いことなんてあまりない

僕がこれまで子どもに対してイライラしていたり腹を立ててしまっていたことは、別に悪いことでもなんでもなく、僕にとって都合が悪かっただけだと気づいてしまったからです。

本当に悪いことなんて実はあんまりない。命に関わることとか、他人や他人が大切にしていたものを傷つけてしまったこととか、そのくらいです。

それ以外であるなら、やりたいことをやりたいだけやればいいのではないかと思います。納得すれば、次の行動に移れるんです。

最近は、「やだ!」と言われたら、それ以上は言わないようにしています。一旦、やりたいことをしてもらって納得した頃に、もう一度促します。その時に、以前の投稿のように気を引く物語があるといい。そうすると、案外すんなりできるんです。どちらにもストレスが少ない。

ただ、それをするには大人側にメンタルとフィジカル面の余裕が必要です。それらの余裕を生むためには、早起きするとか、働き方を変えるとか、夫婦で協力するとか、物語を考えるとか、いろんな要素に少しだけ工夫が必要だと思います。

心の中から沸き起こるやってみたい!は貴重

この子どもとの関係は、とても大切だと考え始めています。子どもが自分でやりたい、と思えることを持ち始めたことにどれだけ寄り添って育つのを見守れるか。

僕は2019年にワークショップデザイナー育成コースというものに3ヶ月通ったのですが、そこで出会った佐伯胖先生の「根源的能動性」という言葉が急に紐づいてきました。

自分の内側から湧き出てくる、やってみたいと思う気持ち。多くの大人は無くしてしまっていますよね。これをどうやって引き出すのか、についてワークショップでは場のデザインを考えていましたが、よくよく考えれば、我が子はそれを2歳頃から持ちはじめて、今発達の真っ最中です。

僕の中では、この根源的能動性は、小中学校の学校教育の中でで同じことを同じスピードでやることで徐々に薄れてしまうのだろうと思っています。納得しないと前に進めなかった僕にとって、納得できず興味も持てないことが学校には溢れていた。

無邪気に、自分の思いに従っている我が子を見ながら、このくらい小さな時期から芽生えはじめた能動性をいい形で育っていくのを応援していきたい、と考えはじめました。佐伯先生はまさに幼児教育の分野で数多くの論文や著作を出されていて、これをきっかけに学びを深めてみたいです。手始めに次の著作を読んでみます。また後日気づきを記しましす。

少し話が飛びましたが、葉山に引っ越すことで、全体性の片鱗に触れていい変化が起きてきていることを今回は記しました。