ひとりのじかん

知人にすてきな本を紹介してもらいました。

「ひとりのじかんを楽しめる人」という次の一文を読んでいて、自分もどちらかといえばこっちよりの人間だなと思いました。人と言語を通じた対話をしていなくても、例えば、庭の土をいじる、飼い猫と意思疎通のようなことをする、木々が揺れるのを眺めている、といったことをしていると満たされる感覚があります。人間以外との交流においても、相性のよさはあり、はじめは距離を感じたものにもだんだんしっくりくるものもあるように思いますね。

「『ひとりのじかん』を楽しめる人というのは、人間に対する興味が比較的希薄で、人間以外のものへの興味が強い。動物でも、植物でも、虫でも、空でも、星でも、風でも、光でも、色でも、音でも、数でも、紙でも、粘土でも、自分のまわりにあるいろんなものが、人間と同じかそれ以上の存在であって、それらと対話し、新しい発見をし、刺激を受けることさえできれば、なんだかもう満たされてしまう。」(p13, 阿部雅代著「見えないものを知覚する」)

もっとも、自分がそのように考えられるのは、家族がいてくれるからかもしれません。たくさんの友だちも知り合いも必要なく、どれだけ深く人とも人以外とも共鳴できるかが大切なのだと思います。

2020年から3年近くこちらのページ自体を寝かせていました。noteに移行してつらつら書いておりましたが、やはり自分で構築したページというのは必要最小限の情報になっていてすっきりしていていいのではないかと思えるようになりました。離れてみて気がつくということです。

2023年は、こちらのサイトに書いてみたいです。そうそう、2021年からまさに見えないもの(?)見えづらいものを知覚する旅もしています。日常では、人生フルーツの津幡さん夫妻が語っておられた「時をためる暮らし」を自分で実践するとどのようなイメージであるかを実践しているつもりです。誰にもみられなくても、ひっそり続けていきたいと2023年の新年の誓いとしたいと思います!