アートが、枠に対して問題提起をし既存分野を拡張するとすれば、この音楽と医療の対話はアートである「見えないものに、耳をすます 」

友人の稲葉俊郎さんと音楽家大友良英さんの書籍です。

実は、NHKのSwitchの放送を数回見たので、書籍はいいかと思っていましたがそれは大間違いでした。

本書の約半分は放送後に二人が再会し、更に対談したり、10の質問や無人島にもっていきたい音楽や本についても追録されています。テレビの放送分でも、追記されているところが結構あります。


そして、全編に渡り、内容の濃さに正直なところ驚きました。
僕の想像する対談本は、通常、さらさらと読めて内容もそれなりだったりしますが、この本は音楽と医療を通して、体や生命、芸術、職業観、生きていくこと、多様性と調和によって拓けていく未来構想などなど行き来して、濃厚です。

同世代の友人が、これほどまでの身体感覚の伴う知を秘めて、世のために使っているかと思うと敬意とともに、襟を正さねばと思う自分がいます。

以下、僕がとくに感銘を受けた箇所の抜粋です。→は僕の感想コメントです。お二人の言葉には、僕の思いや行動を変える力というか愛情のようなものがあるのを感じました。

大友「引っ込み思案な子だと、なかなか会話の中に入っていけなかったりするけれど、音楽だったらその中で小さくても「ポン」と音を鳴らしたら、もうそれだけでその場の中に入っていることになるわけじゃないですか。その重なりながらも入っていけるところに、僕はコミュニケーションの本質というか。原始的なコミュニケーションのあり方を感じるんですよ。」(p99)

→最近、言葉をまだ話さない子どもや猫と非言語コミュニケーションができていると実感するところもあって、言葉だけが全てではないという実感ありです。

 

稲葉「違和感を持ち続けることに関しては才能がある(笑)。最初にこれは変だなと思ったら、変だなと思い続けるんです。」(p137)

→社会に適合していくというのはある種、そういうことを鈍化させていくことのように思えますが、違和感は深く考えることになりますね。違和感を封じ込めないことが大切だと僕も思います。そう思ったのは、自分が違和感をごまかしながら少し軽視しがちだったこともあります。

 

稲葉「つねに発見がありますね。たとえば、手術中、カテーテルとか何か道具を取る時、迷ったり無駄な動きをすると、コンマ何秒かが無駄になるわけです。緊急の時は、その積み重ねで数秒が命取りになる。最初からここに置いておけば、あの動作はいらなかったと、必ず振り返って反省します。ゴールは同じで決まっているんだけど、そこへ至るまでのプロセスをどうするか。それって登山やクライミングみたいなもので、必ずしも舗装された登山道じゃなくてもこの急斜面の岩壁から登ればあっという間に頂上にいけたじゃないかということもある。そういう場面で技術や精神力が求められるわけです。だから毎日、発見と反省の繰り返しですよね。」(p179)

→とくに医師は刻々と変化していく患者の状況に即興で対応して成果をあげないといけないことを考えると、こういった真摯な積み上げが、未知の状況での対応力を生むのだと思いました。しかし、超優秀な方がこの努力をしていくことで、精密さと創造性が常人には届かないレベルになっていくのでしょうね。

 

稲葉「記号化された専門用語で話して、相手に伝わっている気になってしまうんです。僕らも、患者さんに体の話をする時、なるべく記号じゃない話をしないといけないと思っていて。本来、自分の体の話なので、こちらから偉そうに教えるよりも、みんな生まれたときから持っているものなので実感があるはずなんです。」(p193)


 →記号化された専門用語については、あらゆる職業でも同じでしょうね。伝達ではなく、対話することの本質的な課題だと認識しました。

稲葉「悩み、葛藤する、ということは、自分自身で考えて、自分自身で岐路に立つということです。そして、その「ずれ」や「落差」を大切にしているということです。それは健全なことなんだと、おとなになって改めて気づかされました」(p234)

→この一文はもっとも響きました。おとなになっても葛藤している自分に未熟さを感じることもありますが、岐路なのだということメッセージがその葛藤や迷いにはあるはずで、よくしたいと思っているからなのだと。

 

稲葉「誰かの意見や感想ではなく、自分自身の目で見て、耳で聴いて、全身で体感することを大切にしてきました。そのことは短期的にはすぐに効果を与えるものではありませんが、十年、二十年と経過して、少しずつ芽吹いてきているのを実感しています。」(p234)


→これはネットやSNS、スマホの普及で何かと情報の相対化や客観化がしやすい時代になったことで、より他者の意見に影響されて自分の思考をないがしろにしてしまうことすらあることを考えると、重要な指摘だと思いました。一次情報を大切にし、考える習慣をつけることがその思考に独自性を与えるのかなと考えます。思考に連続性を与えるために書き、考察するという行為も伴うとよいのかなと思いました。(僕自身も2019年は、書く機会を意識的に増やして考える時間を増やしたいと思ってます)

本書は、丸善ジュンク堂の美術書カタログ2018「defrag2」にも収められています。

僕は全編を読み終えて、音楽や書籍、芸術の話もたくさん出てくるので、美術書として選書される要素もありますが、アートが既存の枠に違和感を持ち、拡張させるものであるなら、この対話はアートであり、すなわち美術書であると思いました。

参考リンク

丸善ジュンク堂:美術書カタログ2018「defrag2」