はじまりの記憶・自立

自分が生涯で一番影響を受けた先生が亡くなったということを今朝知りました。約1年遅れです。

担任をしていただいた高校1年生、受け持っていただいた現代社会、残念ながら担当にならず隣の世界史を担当されている先生の声をそばだてて聞いていた2年生。職員室に相談に行くと中央公論の「世界の歴史」(旧)を全巻読みなさい、とアドバイスをくれました。先生の紹介してくださった本を読み(岩波系が多かった)、熱心に聞きに行ったので、「君みたいなのは戦争中は軍国少年になるタイプだよ」と諭されたのも覚えています。もっと、物事を疑い、自分で考える視点を持ちなさいということだったと思います。

卒業してから2回、先生に手紙を書きました。先生にとってさして印象に残る生徒ではなかったはずですが、ぼくの中には、大きなきっかけとなる出会いでした。本当にありがとうございました。

20年以上前に記した手記をこちらに掲載して、ご冥福を祈りたいと思います。

2003年ごろの手記より

1993年の春、ぼくは名古屋市内にある公立高校の入学式に出席していて、ある白髪混じりの男性についていろいろと憶測をしていた。

入学式や始業式の終わりに恒例の担任発表があるのを憶えていないだろうか。あの発表は、学生・生徒にとっては結構日々の生活の質を決定づける重要なものだった。

我々のクラスの前に立った男性は、白髪が混じったグレーの頭、スーツの上からもわかるがっしりとした筋肉質の体型の宇野耕児先生(57歳)。

正直、またかと思った。

人は、姿+声で他人の第一印象をはじめの数秒で形成するらしい。そのとき外見を見て、50%以上、こいつはきっと厳しくて自分の価値観を押しつける旧来型教師に違いないと、14歳のぼくに蓄積されたデータによって判定された。おまけに、ごつい、あれはきっと体罰も・・・と。

しかし、14歳の未熟なデータベースは完全に推測を誤った。

この教師は、中学生のぼくにはなかった自立という概念を与えてくれることとなる。それまで、頭越しに示された「自立」や「自律」はあった。それは、教室の黒板の上あたりに飾られた無機質な言葉だったりした。

「みんないろんなものは決められていると思っているけど、変えられることは随分多いんだよ」。

記憶に残っている最初の一言は、これだったと思う。とても渋い声でゆっくりと話す先生のスタイルと内容に、惹きつけられた。

社会科の担当であったこともあり、授業では現代社会を教わった。もちろんそれも面白かったが、ホームルームでの話は毎日楽しみだった。
特に、学期末の長期休暇に入る前には30~40分の話をしてくれたのだけど、そのとき涙が出そうなくらい熱くなっている自分を感じた。

「時間とは」についての話も印象的だった。過去と未来の接点が現在であり、未来を変えたいならば、今を変える意思決定をどうするかが重要。
だから、過去、現在を学んだ上で今を変革するために努力する、という発想も、そのときに教わった気がする。その過去、現在を学ぶとはすなわち学問であった。

着実な手段をとることで、社会であれ身近であれさまざまな問題のかなりの部分は、変えられるんだという主体性が生まれていた。

優れた教師は、「知識だけではなく、学生の心に火をつける」と元東北大学長の西沢さんが述べられていたのを聞いて納得したことがあった。宇野先生との出会いはぼくの人生においてその最初の体験だった。

先生の話に共通していたのは、自立や自律ということだった。もちろん、学生であるから自立といっても経済的に自立することではない。

そのメッセージは、「君たちは主権者なんだ」ということだった。これまでの社会、つまり中学では抑圧されることが多かった。少なくとも、教師が想定した枠内から出ることは許されなかった。愛知県はとくに管理教育が厳しくて有名で、ぼくはさらに管理が厳しい郡部出身。

ところが、宇野先生は、教員でありながら中立的視点を持った上で生徒の味方だった。
また、授業では人間というものの原点を見つめていた。現代社会の問題を考える上で、自分たちの歴史や価値観の経緯をしっかりと掴んで、自分たちがどのような経緯の元に今生活しているのかを考える視点を与えてくれた。

その視点は、自分が歴史の中で生活している、つまり当事者であることを強く意識させた。それは、堅苦しいものではなく、本当にワクワクする感覚の獲得だった。

後に聞いた話では、宇野先生は福井県で村長の息子として育ち、戦後東大法学部を卒業後、大企業へ就職した。
だが、労働者の視点に立った社会活動が影響し、部署を転々とした後退社。

弱いものの視点や社会問題に対して立ち上がれる次の世代を育てることができる魅力ということから教師になった。ぼくが出会った57歳の先生は、これまでの経験からにじみでる落ち着きとアカデミックなオーラでゆったりと焦らせず、社会に対する興味へと導いてくれていたように思う。

社会人として働く今でも、自分の視点は社会や人間の現在とは?に、眼差しが向いてる。それは、思い起こせば、高校時代に獲得し始めた概念だった。

幸せなきっかけを得て、考え方を自立させることができたんじゃないかと思っている。

感謝している。