身近に樹木がある暮らしがしたいね、という話しを我が家ではよくする。
それはお互いの暮らした故郷の環境がそうだからとも言えるし、人生に併走しながら成長してくれる存在や、我々の寿命を超越して次世代に繋がっていく存在と生活を共にしたいという気持ちがどこかあるから。そういえば、最近、義母に家を選ばれた基準を尋ねたら「子どもたちが穴をほって土遊びができるところ」と言っていた。人類にとって、木と土は創造の原点のような気もするから僕もそれはすてきな基準だと思う。
しかし、今のような都心暮らしではなかなかそれは難しいようである。
品川区のマンションの周辺で庭付きでしかも樹木が植わっているのは、おそらく戦前や戦後すぐの古くからの地主さんたちの家、あるいはとてもお金持ちの人々の家であろう。
調べてみると、この周辺は坪あたり250万円前後の値段がついている。僕達夫婦の実家では平均的な50坪規模の家を建てようとすれば土地だけで一億円なのである。だから一戸建てでは、20~30坪の家が多いし(それでもそれなりの値段になる)、統計によれば東京都の7割以上はマンションである。
東京の中心部だけが異常に高いということが、数多くある不動産情報WEBを見ていてもわかる。参考までに調布や府中あたりまでは、品川区武蔵小山や戸越のおよそ半額、町田や八王子では4分の1ほど。もっといえば、故郷の愛知県や静岡あたりだっていいわけだ。
そうとなれば、住環境は理想に近づくだろうが次は仕事がなくなるのでは?という懸念もあったり。ほんとは先祖代々の土地を引き継いで行けば、そういう苦労はないのだろうけど、それはそれで多くの有形無形のレガシーに縛られる生活にもなるのだろうね。人生は、運命的でもあるし、取捨選択でもある。
そんなことを、バルコニーにあるいくつかの木々を見ながら思う。背景には、近所を走る中原街道を絶え間なく走る車の金切り音が微かにする。写真は、桃の木。乾きに敏感で、水を切らすとすぐに葉っぱが萎れてきてわかる。近い将来、もっと水を十分に吸える大地に移してあげたい。
この写真をとったのが10月。11月に入って、子供のことなどがあり時間の感覚が麻痺していたが、気がつくと紅葉していた。そういう、四季を感じる風景が暮らしに寄り添っているのは実に素敵じゃないですか。何年か後、これらの木が庭を彩っていることを想像したりもする。