6年前に作った動画に英国のおじいさんから96件のコメントが届いた話

2019年の秋から冬にかけて、2013年の英国留学時代に課題で作った映像’Dockland memory in Rotherhithe’に対して、96件のコメントがありました。およそ2ヶ月間ほどの間に、ほぼ毎日のペースでポツポツとコメントが届いたのです。しかも、多くは礼儀正しく、その人でなければ知ることができない思い出が含まれている貴重なものでした

Kevinさんのメッセージ

次の一文は、生粋の地元民のKevinさんからのメッセージです。Youtube上のオープンな場所に記載されたものですので、こちらでも紹介させていただきたと思います。1948年生まれとありますから、2020年現在71歳の方です。

My Nans and Grandad’s lived and died in this area, I was born in my Nans house which became my mum and Dad’s house in Richardson st Bermondsey, that was way back in the bad winter of 47/48, the house had no heating as such only whatever old wood they could find to burn, the water pipes were frozen up and the doctor said to my parents don’t expect him to last the night ( me) well he was wrong and I’m still alive and well, my dear old mum lived until she was nearly 100 and she was made of true grit, poor old Dad had a hard life and fought in Burma and India and served 13 years in the army but worked until his last day at the age of 61. All our family and relations were SE1 born and bred !  [Kevin OBrien]

私のおばあさんとおじいさんはこの地域で暮らし、亡くなりました。
私自身は、バーモンジーのリチャードソンストリートのおばあちゃんの家で生まれました。つまりは、私の両親の家ということにもなります。話は、1947〜48年の厳しい冬にさかのぼります。私の両親の家には暖房がありませんでした。 あったのは、両親が見つけた薪に使えるであろう古い木だけで、水道管は凍っていて、医者は両親に私が夜を越して生きることは厳しいと言いました。
しかし、彼が言ったことは間違いでした。私は、まだ生きていています。親愛なるお母さんは100歳近くまで生きるほど、根性の塊でした。貧しかった年老いたお父さんは苦労ビルマとインドで戦い、陸軍に13年間奉仕し、61歳の最後の日まで働きました。 私の家族と親戚は、SE1(郵便番号でSouth Eastの意味)で生まれ育ちなのです!  [Kevin OBrien]

1947年といえば、第二次世界大戦終了後、わずか2年後です。バーモンジーという地域は、Rotherhithe(ロザハイス)と隣り合った街ですが、ドイツ軍の空襲を受けて壊滅的だったと思われます。そこから復興しての、貧しい港町でした。
その地域で生まれた方の生のエピソードを読んで、地域の写真図書館で目にしていた写真に映り込んでいた人々の生活がより本当にあったものであることを意識しました。
ちなみに、SE1というのは、南東部のロンドンで、以前はあまり治安がよくなりエリアでした。

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こちらはリチャードソンストリート(今は通り名が変わっている)。僕は、よくこの通りのスーパーに買い物に来ていました。正直、この通りから南はあまり行きたくない雰囲気は2013年当時もありました。実際、この先にある南バーモンジー駅周辺では数回アジア人蔑視の言葉をかけられてことありますね。。懐かしい。

映像”Dockland memory in Rotherhithe”について

ちなみに、こちらの映像がメッセージをいただくきっかけになったものです。

2013年に僕は、芸術大学に留学していて南東ロンドンのテムズ川沿いにあるBermondseyでフラットシェアをして暮らしていました。
その近所に、まるで中世の映画の世界にタイムスリップしたような地域があることに気がつき、日々ランニングしながら探索を楽しんでいました。
車による輸送が主流になる前は、テムズ川を輸送船が行き来しており、ロザハイスと呼ばれたこの地域は、たくさんの船乗りたちが闊歩する労働者の街でした。1980年代に、港の多くが閉まり、決して治安のよい場所ではなかったこの地域は廃れていきます。
2000年に入ると、それら歴史的な建物を転用した高級マンション化(ロンドンではアパートやマンションをフラットと呼びます)が始まります。
そのため、現在ではこの辺りはとても高価なフラットが軒を連ね、金持ちで無ければ住めないとも言われています。
僕は、コースが始まってから三ヶ月後にあったミニプロジェクトで、この場所に住み地域を歩き見聞きしたことを6分の短い映像とミニ写真集にしてみました。そして映像について、Youtubeにアップしたのです。

視聴者は55歳以上男性が56%

6年経って、自分でも見直すこともほとんどなくなっていましたが、どうやら、Youtubeが選ぶおすすめ映像として紹介されていたようです。アクセス数もその期間だけで3万ほどありました。
その結果、かなりニッチで限られた経験を持つ方々から濃いメッセージをいただくことができました。分析機能を使ってわかったことは、ほとんどが男性でそしてプレ&シニア層だということです。まずはこちらを見てください。

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視聴層はなんと55歳以上が56%の男性。65歳以上(12%)とシニア層に視聴されています。正直、当時は自分が面白いと思ったことをただ記録していたのですが、そういうマインドでやっていると、ターゲット層はシニア層かと改めて驚きました。

対話のきっかけになる表現

さてさて、多くの味わいあるコメントをいただいて、本当にうれしかったです。僕は、二つ目の専門としてPhotojournalism and Documentary Photographyを専攻していましたが、結構モヤモヤしたまま修了していました。
いわゆる伝統的なPhotojournalismには関心が持てないでいました。事件、事故、紛争、個人のトラウマなどを記録・発信するのではなく、一人ひとりの日常、地域をジャーナリングしていくことや個人やコミュニティレベルでの蓄積と対話に関心がありました。
しかも、もう消えてしまって見えない記憶を呼び起こし、それをまた共有し合い、今を生きる人がそれを得ることでまたその景色や日常風景が違って見えるような出会い。そんなことができたら素敵だなあと考えていました。でも、それから継続的にその取り組みをしてアウトプットを出してきたかと言われれば、ほとんど外側には出せずにきています。生業も別にあります。
なんなんでしょうね、ちょうど僕がキャリアチェンジも目指して留学していたので、これで職業になるのか?という打算的な視点で見ていたからでしょうね。
Journalismとか、Documentaryという概念をもっと、自分自身を前向きに捉えていく気軽で楽しい行為として考えていけるとよいのかもしれません。
集まってくる言葉を拝読して、そんな可能性を感じました。正直なところ、映像自体は稚拙な部分がたくさんあって、フォントもテンポも構成自体も、もう一回作るならもっとこうしたいというところはたくさんあります。
でも、記憶を共有してくださった方の言葉を見ていると、そういうレベルのことはもちろん大切だけれど、もっと大切なことは対話のきっかけになる視点や仕組みなのだろうなと思ったりもします。

せっかくなので、今ではもう7年前に行ったミニプロジェクトですが、いただいたコメントを紐解きながら、どんな再発見があるのかを記して見たいです。

なんでも速さが求められる時代、あえて非同期でゆっくりした時間感覚でやってみるのもよいではないでしょうか。

そんなきっかけをくださったKevinさんをはじめとするメッセージをくださった皆さま、本当にありがとうございます。

*カバー写真は、The Rotherhithe Picture Research Libraryの所蔵です。著作権は、撮影者に帰属いたします。