正式な名称は知らないが、故郷七宝の祖父母の七宝製作所に続く道の入り口にある。車一台がぎりぎり通れる幅があり緩やかにカーブしている。中学へはこの道を通った。当時、徒歩20分程度の道のりの自転車通学が禁止されており、遅刻しそうなときは、この道の先にある祖父母のところに自転車を停め、そこから早足で向かった。
当時としては、かなり見慣れて特別な思いはわかなかったが、様々な都市に暮らして改めて見るとなかなか趣がある通りである。お堂とともにある焼き杉の壁、瓦の様子、石垣があり、この先がかつての七宝焼きの里で何件もの製作所が軒を連ねていたことを偲ぶことができる。
そういえば、先日、この近くにある墓場(田んぼの中に島のようにポツリとあるはかばというに相応しい場所)で、とても古い墓石を見つけた。文化六年と刻まれていた。なんと江戸時代で、西暦では1810年。この周辺には、前田利家の妻まつの生家があったり、戦国武将の出身地が点在しているので、当たり前とはいえるが、七宝の歴史もなかなかに奥深いのだ。
さて、この細道を進むと、七宝焼の里といえる郷中へ入っていくことができる。まだ七宝製作所も何件かあるし、蔵のある古い町並みを眺むこともできる。まっすぐ北へ進めばアートヴィレッジへ抜ける。