1990年ごろ、この七宝焼アートヴィレッジの前にある北中学校に通うため、毎日この周辺の道を通っていた。そのころここは、田んぼの真ん中でメインの建物が建つ前に広がる駐車場にチャイルドシバタというおもちゃ屋が一軒あった。
田は埋め立てられ、すっかり立派な施設になった。縦に高い建物ではなく、横にひらけているのは贅沢に土地が使えるからだろう。このふれあい広場も気持ちのよい場所だ。
もっと前からあるような気がしていたが、完成は2004年とある。僕の幼少期を過ごした人口2万人ちょっとのこの町には、元より図書館がなく、書店も無いので図書館が先に必要ではないかと思ったものだった(町村合併したことで広域では図書館は存在することになった)。ただ今では、特色を活かした場があることは貴重で、帰省のたびに散歩に行ったりする。
もう一ついうと、祖父母が制作した作品と使用していた窯などが所蔵されている特別な場でもある。作品は二本展示されたのを見たことがある。もしかしたらもっとあるのだろうか。道具については、窯が所蔵されて現役で動いている。一昨年見たときは、僕の記憶の中ではエージングが進んだとでも言おうか、銀だか、サビ色だかわからない感じだったはずの窯は、塗装されてピカピカの銀色になっていた。しばらく見ていたら、多分、毎日稼働していたあの窯だなあと、あの開けたときにもわっと熱が上がってくる感じとにおい、を思い出した。それと冬は上において焼き芋を焼いてもらったものだった。
アートヴィレッジは、まさしく美術村という意味だが、祖父母を思い出すと工芸職人というクラフトの要素も多分にあった。祖父は、「帳面」と読んでいたノートにスケッチをしていたものだったが、特に専門の教育を受けたわけではなく30歳になってから現場で学んだ叩き上げだった。作品展に出品するときは、まさしく美術品であったが、それ以外の場合は何十本もときに数百を大量生産するために高い品質を保ちながら作り続ける工芸職人だった。
もっとも、アート・クラフト・ヴィッレジは長すぎるし言いにくいし、わかりにくいのでアートヴィレッジで七宝町にはないエッジが効いた存在でいい感じがする。