「かかわり方のまなび方」ワークショップとファシリテーションの現場から 西村佳哲著

仕事で普段からワークショップに関わることが多く、これらの本質的な起こりや発展の経緯を知りたいとずっと思ってきました。

そもそものワークショップとの出会いは、留学時代に授業形式がチュートリアルかワークショップであることが多く、何かみんなでスタジオで手を動かして実地にやるのがワークショップなのかなくらいの感覚でいました。

コンサルティングの仕事で、ワークショップに入ると、そこは1日から数日使って、何かしらの目に見える成果物を作成する場であることが多いです。

さて、ワークショップとは一体何なのでしょうね。

この問いに対して、本書はじんわりと効いてくる一冊です。

複数のワークショップの専門家へのインタビューや著者自身の取り組みから、ワークショップとは?ファシリテーターとは?について多角的に問いを投げかけ議論することで、その本質に迫る気づきが多数ありました。

ワークショップは、「ファクトリーでないもの」

次の引用箇所に書かれている点が、対比のメタファーとして腹落ちする内容でした。なるほど、この対比を読んでから考えると、ビジネス文脈で効率よくアイデアを導き出そうというものの多くは、ワークショップではなくファクトリー型の可能性も高いです。もちろん、答えをほしいクライアントとともに、共につくりあげていく場では、ファクトリーとワークショップの中間みたいな部分をやることも多いでしょう。重要なのは、その過程自体にも価値を感じられるかと言う点かなと思いました。

ファクトリー(工場)の特性は、「何をつくるか」があらかじめ決まっている点にある。そしてそれを効率よく、高精度に間違いなく生産するためのラインが設計され稼働する。
一方ワークショップ(工房)では、「何をつくるのか」あらかじめ決まっていない。少なくとも設計図のたぐいはない。そこには素材があり、道具があり、「少しでもいいものをつくりたい」意欲を持つ職工が集って、互いに影響を与えながら働く。そしてつくり出すべき「なにか」が、その場で模索されてゆく。
ファクトリーは量産するがワークショップは量産のための空間ではない。また前者において失敗はあってはならないもので決して望まれないが、後者(ワークショップ)では失敗はむしろ重要な手がかりで、いい失敗を積極的に得るべく試作が重ねられる。(P209)

その人に合ったまなびの距離感がある

著者が大学で教鞭をとっている際、前方に座る学生と後ろに座る学生で、一見やる気があるように見えるのは前の学生ではあるけれど、レポートや作品では、質が逆転することがよくあったという点が興味深かったです。

前の学生は確かにやる気があるように見えるが、関わりが希薄に見えた後ろにいつも座る学生の方がその人の思いがにじみ出るアウトプットをするとか、前の学生はいわゆる優等生的なまとめで留まることがあったといいます。
学ぶ場というのは、その人にとって相応しい距離感や場であるのがよいのではないか、と著者は考えるに至ります。

著者はワークショップの車座スタイルにも本当にそれが相応しいのか、という問いを投げかけています。。

この点は、先日NHKスペシャルの不登校にまつわる特集で。オランダの中学校で座席の決まっていない教室でそれぞれが一番まなびの成果が出しやすいスタイルで勉強しているシーンと被る部分もありました。

僕も学校や会社のあの線でぴしっと並んで座るのが落ち着かなくて長くいられなかった経験があるので、この部分とても重要なポイントをついていると思いました。

生ものの現場でどうその場をホールドできているか

本書を読んで、改めて自分が関わるワークショップを顧みると、アイデアを量産するようなある程度の型(ワークシート)を用意してアイデアづくりをするハッカソンのようなタイプ、玄人のファシリテーターが大まかなアジェンダを持ちつつもその場で参加者の思いを組んで即興で組み上げるタイプに分かれていることに気が付きました。

後者がワークショップ的であり、ファシリテーターも教えすぎず参加者同士の気づきと発見に寄り添うことを大切にします。こちらの方が、難易度が高いと感じますね。

ビジネスでは、多義的にワークショップというワードを用いますが、少し意識的に使い分けて行きたいな思う気づきに満ちた一冊でした。とてもおすすめな一冊です。