有機物を醸造する無機質な七宝みそのプラント

ものごころついたときから、このプラントはあるような気がする。

ただ、もっと周囲は田に囲まれていた。稲穂の中にぎらりと、記憶の中ではもっと銀色に輝くプラントが4本そびえ立っていた。小学、中学生のときは毎日見ていたし、実際家のほぼ隣りの区画なので目に入ってくる。

なんだか久しぶりに思い出したのは、ふるさと納税の返礼品で七宝みそとしょうゆを頂いたからだ。関東に来ると、赤味噌の選択肢はあまり多くないので、改めて七宝みその美味しさに気が付かされた。(地元のときも七宝みそを親は選んでいなかった)東京では、選択肢が少ないことから八丁味噌を買っていたが、ちと味が濃いのとお湯に溶かすのに難儀していたが、七宝みそは実にマイルドな味でしかも溶けやすい。

6歳から10歳くらいの幼き頃、七宝みその工場敷地周辺は遊び場だった。高く積み上げられた醤油のケースは、巧みに組み合わせて周りに住まう同年代の悪ガキたちと秘密基地にしていた。排水の貯水池は、なんとも言えない黄土色の水が流れてきてボコボコと音を立てていたことが妙に興味をひいて通るたびに怖いもの満たさでじっと見ていた。

社会科見学のときには学びの場でもあった。大豆の発酵の過程を見学したときの香りが未だに忘れられない。この施設の周辺は、この大豆の香りが漂っていることが多かった。

10代の前半には、祖母が飼っていた猫がなかなか帰ってこないと、よくこのプラントのあたりを探した。そして、何度かこのプラントのあたりにいたことがあった。そういえば90歳を超えた祖母が、リハビリの体操をしていたのもこのあたりだった。つい最近の話しだと思うが、実際はもう4〜5年前になる。

気になって七宝みそで検索をしてみたら、愛知の尾張地区に50社あったみそと醤油をつくっていた醸造所は今は一ヶ所なんだとか。ちなみに創業明治7年。

おそらく醤油が作られているだろうプラントは、改めて見てみると何も文字情報もなく、少し年季が入って無骨でかっこよく見えた。