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「どこに住むのがよいのか」から「どんな暮らしをしたいか」へのチェンジ
私たち夫婦は2016年ごろから、定期的に暮らしのベースをどこにするのかということを話題にしてきました。
たとえば、実家のある愛知県、品川区の緑豊かな公園沿い、自然豊かな長野県小諸市、逗子市、小田原市などをその都度、現地を訪問しては考えてきました。
3年ほど検討していると、場所も大切ですが、そこでどんな暮らしを継続させていきたいのか、をもっと考えるべきだと気がつきました。
転機になったのは、ちょうど2017年頃、愛知県高蔵寺に暮らす津端さん夫妻の「ときをためる暮らし」を読んだり、「人生フルーツ」を見たことだと思います。元都市住宅公団の設計士であった津幡さんは、名古屋から電車で30分ほど離れたところで300坪の広い敷地に、雑木林や畑をつくり、暮らしています。そのような生活をはじめたきっかけは、都市住宅公団時代に、自らが手掛けた高蔵寺ニュータウンがもとからあった山の形を活かした造成を描いたのですが、経済優先の計画に妥協せざるを得なくなってしまった挫折経験によるのだとあります。それならば、自らが里山を造る暮らしを実現しようということで、はじめたのが今のお宅だそうです。
「人生をかけて良質な土を子や孫の世代に残すのだ」という言葉が印象に残り続けています。
次世代の三種の神器はモノではなく、体験
津端さんの暮らしを知って、これまで見てきてピンときていた映画や本、訪れた場所から考えたこと、トレンドリサーチやコンサルティングの仕事の中で出てくる次世代の価値観など、いろんな要素が結合されていく気がしました。
映画うみやまあいだでは、暮らしのなかで整えるものには可聴領域外の音響もあることに気がつきました。毎日の生活で身体に浴びている音や風について、どれだけ僕は意識的だったろうか、と振り返りました。
またスマホやパソコンなどデジタルデバイスに触れる時間がとても増えている現在では、オンライン上の物理的実感のない体験時間が増え過ぎています。身体を使い手を汚し、汗をかきながらやる仕事が減ってきていると思います。また、総務省やNHKが調べる国民の時間の使われ方の統計を見ると自由時間は増えているはずなのに、SNSやゲームなど何かに追われている感覚がないでしょうか。
体験が重視される時代の中で、本当に重視されているのは他者の設計したビジネスモデルの中での体験になっているのではと強く感じます。
体験が価値になる時代における次世代の三種の神器とは
かつて三種の神器という言葉がありました。昭和から平成にかけて、ものを持つことが豊かさの象徴だった時代の言葉です。
・三種の神器(1950年代後半):「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」
・「3C」(1960年代):カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉
・新三種の神器(平成後期):デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビ
しかし、こうして並べてみてみると、三種の神器や3Cは手に入れることで生活が激変しただろうなと感じますが、新三種の神器は雑誌の売れたものランキングくらいの位置づけに変わっているように思えます。インパクトが弱くなっている。
ものを得る幸せというのは、相対的に価値が低下していますね。必要なときに借りればいい、やメルカリのような中古で手軽に入手できるシェアリングエコノミーも普及していますし。
すでにモノを所持するよりも、体験を通して得られる価値を大切にする方向性になっています。しかし、先ほど書いたように、他者の設計したビジネスモデルの中での体験ではなく、自らが描いたライフスタイルの中での体験に自分はシフトしていきたいです。
次世代型三種の神器は畑、海、山がある暮らし?!
僕にとって持続したい!生活を支える三要素はこんな内容です。
・畑:農耕民の暮らしの要素。土と植物を育てて食べる体験。
・海:狩猟民の暮らしの要素。魚や海藻を獲って食べる体験。広いスペースを眺める体験。
・山:心身を整える寺的な要素。山や森の静けさと生き物が織りなす音響の中で、自らの内面とも向き合う体験。
これら3要素は、それ自体を所持あるいは接点が増えることで即効性のある効果は得られないかもしれませんが、じわじわと暮らしの土台を変え、結果的に生活の充実度をあげてくれるのでは、と期待しています。
SDGsという言葉を頻繁に見かけますし、自分が関わっている戦略デザイン系のプロジェクトでも頻出です。しかしながら、いまいちその言葉と紐づく日常の行動が浮かんできません。確かに、レジ袋をへらすことは効果があるのかもしれません。ですが、実際する行為はレジ袋を断るだけで、たとえばそれによって土地や海に散乱している問題が身近にあるわけでもなくシーンが接続していきません。
畑を持っていれば、自分たちが出したゴミの中で、何が有機肥料として使えて、使えないものはなるべく削減した方がよいと気づくシーンがあります。そういう要素を増やしていくことでしか、本当の意味でSDGsが目指す持続可能な社会は自分ごとにはならないだろうなと思います。
また、暮らし方とともに働くという意味も変化するのではないかとうことです。
現状の仕事で稼ぐ資本主義での貨幣に加え、畑での野菜や海での魚を収穫することも可能なはず。身体も動かせるので健康的だし、それなりの収穫があれば、それは立派なアウトプットと呼べるのではないでしょうか。
そういう生活スタイルにシフトしていきたいと家族と話したところ、妻もそれに関心が高いので、中期的にそちらへのシフトを本気で考えているところです。
やりたいことがわかったら、ようやくそれはどこで実現できそうかを考える
2016年くらいからぐるぐると考えていたこと、2017年には一度逗子市で一戸建ての賃貸物件を見つけましたが、保育園に簡単には入園できないということで断念した経験があります。
そんな経緯で、今度こそ、ライフスタイルを変えたいと本気で思い始めました。生活の土台は大切です。今住んでいる品川区戸越、武蔵小山地区には2006年ごろから住んでいて、とても便利で生活がしやすいところです。買い物、仕事先、育児とあらゆる機能面の充実度が高い。ただし、道路交通量は多く、人々も機能性を重視して暮らしているからか忙しい雰囲気をいつも感じます。
でも今後は機能よりも、心身を充実させるのに相応しい場所を探してみたいと思います。それには、先程あげた3要素(畑・海・山)といった次世代型インフラが揃うところを探してみたいです。
2019年5月ごろから、この思いを実現可能な地域のリサーチやヒアリングを開始しています。(続く)