兼業主夫・主婦はフェアトレードで流動的に

本格的な兼業主夫生活がはじまった一年でした。

妻が外でのフルタイム勤務に働き方により、家庭内での役割を見直したためです。ここ一年の僕の働き方を見ると、多くはリモートで、月に一度程度出張で東北や四国へ出かけていくパターンが多いです。フリーランスで、家にいながら働くことは、外仕事に比べて時間の融通がかなり効きます。

一日の典型的な時間の使い方は次のようなイメージです。

 

典型的なウィークデー


仕事の面から見ると、一般的な稼働時刻で6時間を確保。残りの2時間を夜中に確保できればフルタイムと言われる8時間が確保できます。しかし、リモートワークというのは慣れると効率が断然上がるわけでして、オフィス勤務と同じ8時間をきっちりこなすことなく、同じ以上の成果が出せたりします。それに、掃除や料理、菜園など家事や子供との関わりの中で、思い浮かぶ面白い気づきがたくさんあります。

保育園への行き帰りは、気持ちが豊かになるいい時間です。デスクワークで疲れた身体を子どもたちの表情を見ると和らぎます。行き来は、いい運動にもなります。

先日、雪国に暮らす80代の女性が「最近の若い人は忙しすぎる。それでは未来はよくならないのではないか」とつぶやかれていたことが印象に残っています。現代に生きる僕たちは、忙しいことが美徳になっているのではないかとすら思えます。暇な人は、怠惰な人であったり、能力がないため仕事がないという風潮がないでしょうか。ちなみに、國分浩一郎さんの「暇と退屈の倫理学」によると、歴史的には暇があることはステータスだったといいます。しかし、久しぶりに会った知人に「最近もお忙しいのですか」と言われれば「おかげさまで」という受け答えが、自然な流れのように思えるほど暇であることを口にしたくないようです。

そのような風潮のある中、フリーランスは、余白を持って働くことも質を保つためにも大切なのではないかとここ数年は考えます。と書いたところで、余白が仕事のための効用だと考えている点が現代的思考なのでしょう。

例えば、妻(あるいは夫)が忙しく働く時期にキャリアが差し掛かった場合、夫(あるいは妻)がフォロー側に回って家庭を回すということもあるでしょう。そいういう時には、余白が取りやすい働き方は有利です。喩えれば、サッカーにおけるボランチとでもいいましょうか。中盤のプレーヤーで、大体二人いて、一人が攻めに出れば、一人はその穴を埋めて守備をする。共働き世帯が増えた今、そういう相互の移り行く役割の柔軟な交代が必要な時代なのだと思います。フェアトレードという言葉がありますが、よく農産物でフェアな取引という印象ありますが、実は家庭内でもフェアトレードという概念を持ち込むべきではないでしょうか。家族で誰かが我慢し続ける状況はよくないです。

僕は昭和の後半生まれで、男性が家族を引っ張るという名残が精神的に残っている世代です。しかし、海外勤務や留学をきっかけに、日本の慣習をかなり相対的に見られるようになりました。最近では、実は家庭科こそ、最新の科目であり、学びの多い分野ではないかとすら思えています。歴史的には妻が家事を担ってきた(担わされてきた)経緯がありますが、そろそろ変えて行った方が、楽しく毎日を過ごせるのではと思います。

自分の役割を固定化せずに、流動的に家庭を始めチーム、組織がスムーズに楽しくやっていける毎日が送れたらいいですよね。家事も、仕事も、どちらかに偏る時期もありますが、それを家族と話して穴を埋めてもらう、埋めてあげる。そして、そもそも、相手が何をしていきたいのかに耳を傾ける、語る、ということも欠かせないことだと思います。

 

参考