ふわっと、かちっと

昨年末から、子どものかわいさと生命としての若々しさというか初さに衝撃を受けている。

欲求を鳴き声で発するしかなかない時期ということもあるが、観察していれば顔を赤らめたり、じろりとこちらを見たりとメッセージとなる情報は溢れていることがわかる。

また手というのは、人の蓄積した人生を如実にあらわしている気がする。生後1ヶ月の我が子と自分の手を比べると、びっくりするくらい年月を経てきたことを実感する。まだまだ若いと思っていたが、一気に確かに40歳であることを思い知る。

子を見るということは、僕にとって自分を見る目が変わる体験だった。ものすごい量の経験という情報が、全身に宿っているのだ。もっと有効活用しないとね。

ちょうど2018年の最初の日ということで、抱負を述べてみようと思う。

たくさんのことを箇条書きにして目標を立てて一年後にこれはできてこれはできていないとやるのもよいけど、今年はコンセプトとして”ことば”を置いてみよう。

細かなことを一段階二段階抽象化して出てきたのが、「ふわっと、かちっと」。

普段仕事でふわっとしたことを、かちっと形にしていくプロセスを経てプロダクトに仕上げていくことが多い。曖昧さを大切にしながら情報を削ぎ落としていき、推敲を繰り返し、具体的な形へと昇華させていく。はじめからふわっとしてあやふやな状況を詰めていくこともあるし、あえて一度ゆるっとした状態に戻すことで何が大切なことだったのかを出しやすい環境に場を戻すこともある。

独立して3年あまり。デザインリサーチやプロダクトやサービスプランニングをメインとするクライアントワークは、かなり真面目にこのプロセスをやってきている。3年前、留学を終えた時に就職ではなく、会社をつくって試してみようと思ったのはそれなりにチャレンジングではあったが、これは非常に学びが多いだけではなく面白い経験が目白押しであった。

何かを創作していくという観点からすれば、この本業(?)となっている法人としての活動もある意味、自主プロジェクトかもしれない。しかし、何かを成し遂げることにおいて顧客が明確に存在し、それに応えていくという点ではこれは他者が主体にたつプロジェクトなのだろう。

そろそろ自主研究もやってみたい。

自主研究は、もっと遊びがあってもいいと思うし、かちっと、ふわっとを自由に行き来してみたらいいと思う。

プロジェクトをよく一緒にさせてもらっている世界的に活躍しているデザイナーは、クライアントワークで新しい価値を提供するためにも自主プロジェクトを常に行い感覚を研ぎすませている。

正直、ぜったいやらないといけないかと言われれば絶対ではない。が、やりたい!がないと、面白くないよね。

ここまでは、独立して仕事が成り立っていくのかに注意しながらやってきたので、なかなか自主で何かしようと思っても仕事とは別のものであると考えがちであった。しかし、その両者はあまり離れたものではないようであることがわかってきた。これまでわけていた。行き来させないと。(その意味では公私の関心事は行き来していくもののはずだ)

自分にとってつくりあげたいプロダクトは何か。いやその前に、問いとは何か。確かにそれはあるが、ずっとふわっとしている。

アプローチ方法や準拠するディシプリンみたいなものは、こだわらない。できることからやってみる。

これまでの経験や知恵は、「ふわっと、かちっと」のプロセスをぐるぐる回すと面白い形として立ち上がってくるはずである。

日々の仕事のように、顧客の課題を解き創作することと、自主研究の内発的な問いを根源として手を動かす活動の両方が動くことが2018年にやってみたいことである。

新年の抱負がコンセプト的なキャッチフレーズになったのははじめてかもしれない。成果を、ということよりも、自らの問いに形を与えることで自身や他者や世界との対話をはじめられる一年にしたい。やるよ。