読書メモ「良い写真とは?」ハービー・山口著

以前、勤めていた会社の上司にハービー・山口の写真は空気感というか場の雰囲気を写すのが上手いから、機会があったら見てみてと言われてそのまま長い年月が流れたが、ようやく手に取る機会があった。

たまたま義理の父から譲ってもらった本が家の書棚にあったからだ。ただ、その本はこれとは違い「女王陛下のロンドン」というエッセイ。その内容が面白く、ロンドンでの生活体験からも親近感があって更にと思って読んだ一冊。

もともとは、Twitterの内容を写真とともに編集したものだそうだが、写真と巻末のキャプションによってTwitterでは得られないよさがあった。

僕自身は、写真を学んだことによって、 写真というメディアに対してやや心の中に複雑な感情を持つことになってしまった。それに加え、本業であるモノづくりの文脈で考えた時に、なぜ写真であるべきかという前提を問う面倒な習慣が顔を出してしまうからでもある。その対象を表現するなら、写真じゃなくて映像でしょとか、むしろエッセイでは?とか。

しかし、ハービーさんのこの本を読んでみていくつかとても考えをもう一段階深められるような気がした。

収入をもたらす写真や仕事は重要ですが、人様の役に立つ写真を撮ることの方が自分の人生でより大切だと自覚すると気持ちが少し楽になるのでは。(20、p34)

現在の人、先々の人、もしかしたら過去の人、奉仕の精神で自分がまるで媒介となってカメラという道具を通じて人や景色を残すことができたら。そんなことを思った。アートでもデザインでも、結構そんな身近な小さな貢献の気持ちからはじまっていることって結構多いのではないだろうか。

所見から一日経っても、一週間経っても、一年たっても自分の中で暑い感動がさめない写真。その一方で、日々消費される写真もあるのですね。(36)

逆に初見から一週間、一年経って、または数年後に、その写真の良さがやっと理解出来る場合だってあり得ます。(37、p57)

ハービーさんは、よく昔のネガを見返したりされるそうである。

自分の環境では、ネガを引き出して見ていくという作業は中判写真の一部だけで、その他はデジタル化されていてないけれど、ときどきLightroomなどで過去のファイルを順に見返してみるのも面白い。かなりたくさんの何千枚、あるいは万レベルの写真がストックされている。30代前後は、国内外を行ったり来たりしていたので、面白いものや心情が投影されたものもたくさんある。

写真との出会い方という点では、僕は展覧会で写真を見るのが結構苦手で、行ってもどっと疲れてしまう。その理由をあまり明確には説明ができないのだが、その場で展示されている内容と上手くつながれないのだと思う。

一方で、家に自分たちや他のプロが撮影したいくつかの作品が額装されて飾られている。日々の生活の導線の中で、何度もじっくり見る。特にトイレに飾られている洋梨が映されたモノクロの写真は、僕も訪れたことがあるインドのお宅にあったもの。そして、廊下のインパール作戦が展開されたコヒマへ二人で赴き宿泊したかつて戦場になったコテージのホテルのモノクロの一枚。

写真家のセンスとは、まず被写体にどれだけの物語性を見つけ感じとれるかだ。(55、p85)

自分が体験したことだからということもあるが、そこから多くの物語を僕は思い出し、想像しているから見入るのかもしれない。光の筋を見て、ああそういえば、窓から見える風景はこうだったなとか、日差しはどうでその町はどんなだったかなとか。

写真の中には、自分が未知の対象でもそんなことを想像させてくれるものがある。それがきっと物語性とか、その兆しなのかも。

対象をよく観察し、物語を語る瞬間やその時間を捉えられることが重要なのだと思う。写真なんてシャッター押せば簡単に写るからね。特に最近の高性能カメラは。

もっとも好きな対象はずっと見ていたいし、他者にも伝えたい。だから、そんな対象を見つけられる出会いこそ大切なのかもね。