品川区荏原の旧中原街道を武蔵小山側から入るとすぐのところに戸越地蔵尊がある。
6基の供養塔がお堂の中に祀られていて、文字が判読できるものでは寛文2年(1662)のものも納められている。
ここの銀杏が美しくて、それだけのためにこの前を通ったりする。それなりに歴史ある木だと思うが、依然生命力にあふれている。樹齢いったいどのくらいであろうか。特に秋の紅葉のころには、金色の葉をつけた様子は別格。新緑が芽吹くときも生命が外に向かって躍動していく様子が見られる。
武蔵の国まで歩いて向かう人々に、何世紀も見つめられ、逆に見守る存在だったのだろうと思われる。
樹木に触れてみると、実に温かで心地よい。
右側、ふたつ目の石柱には、作家池波正太郎さんの名前もある。すでに故人であるが、お住まいはいまも近所にある。
保存の会の方々の尽力で残されている。僕はこの場所をとても気に入っているし、いつも気になる場所で、管理サポートされている方にいつも感謝している。
私は、荏原2丁目で、育ちました。池波正太郎先生の作品は大好きなのに、先生が、ジモチーだって知ったのは、お亡くなりになったと、テレビで、ご住所が、伝えられた日でした。口から心臓が、飛びでそうでした。もう、名古屋に住んでおりましたし、実家に帰える事も、なかったのですが、8月16日に母が亡くなって、仕方なく実家を訪ねました。友達とも、何十年ぶりかの再会で、色々話をしているうちに池波正太郎先生のお話になり、「先生のお家見て来たいなあ」と話すと弟も、友人も、今更?と大笑いして教えてくれました。そして、一昨日、行って見ました。表札見て感動、そして、戸越地蔵尊に行って、又感動。私の父の名前と、池波正太郎先生の木札を見つけて、又感動。父は、先生とも、年も、近かったし、町内の行事参加も多かったので、何処かで、お話していたかもなあ?等と考えて、弟に話したら、弟は町内の役員をやった時に、奥様と、お話した事があるって教えてくれました。素敵だなあ。
藤原さま
貴重なエピソードを書いてくださりありがとうございました。私は今現在、戸越地蔵尊や池波先生のご自宅の近所に住まい、かなり高頻度で戸越地蔵にはお参りに行っています。最近は隣の建物も壊されて、どうやら道路の拡張がされるようで、地蔵尊と大きな銀杏を取り巻く旧中原街道の環境も変化していきそうです。地域の方々が、きれいに保存されているので、きっとここは残されながら工事が進むものと信じています。
我が家でも、お参りに行くと木札を拝見しながら、時代時代にこの場所を守られた方々のお名前を確認したり、お名前自体の変遷を感じたりしております。
名古屋とのことですが、偶然ですが、私も愛知の出身です。
わあ!早速のコメントありがとうございます。そうなのですか、愛知県なのですね。何だか嬉しいです。あれから、池波正太郎先生の、斜め前にお住まいだった同級生の方から、七五三の着物姿を、見せに行ったり、お風呂が、同時珍しく2階にあってね。とお知らせがあって、次回 実家に行くチャンスがあれば、レストラン探したり色々やってみたいです。中原街道も、変わって行くのですね。