人情溢れた武蔵小山駅前再開発地区の思い出

この敷地に隣接して中華屋があった

すでに消えてしまって跡形もないが、かつての武蔵小山駅前の飲食街は、戦後の雰囲気を残していて郷愁を感じたものだった。

2006年頃、独身だった僕は品川駅に勤務する30才になりたてのサラリーマンだった。通勤電車に乗るのが嫌で、自転車で通える町ということで、この町の小山二丁目に住んだ。遅く帰っても夕食に困らない町でもあった。

仕事帰り駅前の店によく寄った。現在のエトモがある通り沿いにある店は比較的入りやすかった。りゅえると呼ばれる一本中に入った路地の店は、スナックやクラブのような店が多く、若干ハードルが高い印象があり、洋食屋や串カツ屋などに入ったことがあるだけである。

エトモの通りのいくつかあるうちで、酢豚の美味しい中華屋によく通ったものだった。一人で寂しく食べていると、店員さんやお客さんが話しかけてくれる温かさがあった。多摩の方から毎日通っているという中国人の女性店員さんは、「今日もお疲れ様。わたしも毎日家が遠くて大変よー」とよく話しかけてくれた。

ときどき、「そちらの兄ちゃんにも一杯」といっておばちゃん(お姉さま?)に酒をおごってもらって少し話たりしたこともあった。そういうことってバーで行われるものだったと思いこんでいたので、気さくな感じでうれしいものだった。

そんなお店も、2008年には、閉店してこの地区の再開発による取り壊しのりも早いタイミングで取り壊されてしまった。その後、僕は転勤で武蔵小山を離れた。東京に来るときは、なぜだか武蔵小山に来たくなり、度々訪れていたが跡地には何もできる様子がなかった。もう地主の間では、この土地が再開発でいずれ更地になることが決まっていたのかも知れない。

昭和生まれの自分には、どこか懐かしい町の一角だった。