空間の基準値をどこにもつか

 

 

 

 

 

学生時代の友人夫婦を訪ねて、栃木県野木町へ出かけた。

これで三回目の訪問。

一度は、一人で行き、二度目、三度目は妻も一緒に訪れた。

初めて一緒に行ったとき、彼女は、友人夫婦の温かい雰囲気をとても気に入った。そのとき、帰りに友人二人と子供が、駅のプラットフォームにあがった我々をずっと見送ってくれていた。都会の駅とは違い、JRの駅はそとから丸見えだし、他の乗客も数人で穏やかな時間が流れた。

たぶん、友人たちと栃木の空間の両方を気に入っているのだ。

この野木町の近隣にある渡良瀬川遊水地は、ここが東京からたった1時間半ほど電車で向かったところとは思えないほど広々としている。特に、野焼きで葦簀が焼かれた後ということもあり、淡い黄土色のコントラストがずっと続いていた。遠くの古河に薄っすらとタワーマンションが見える。

友人が言うには、ここには2才の子供を連れてきて自由に走らせたり遊ばせても、特に迷惑になることもないのがよいという。それに、何か一人で考え事をしたいときやゆっくり本を読みたいときも、鳥のさえずりや風の音がして、落ち着いて捗るという。そうだ彼は学者なのであった。この地を気に入って離れたくないという彼の妻も、編集者なのでインスピレーションが得られる空間があることは大切なんだろう。

坂上田村麿の頃に起源があるという野木神社には、彼が植えたと言われる樹齢1200年以上のイチョウがある。すばらしい佇まいというか、その場を長らく治めている生命体としてのエネルギーを感じざるを得ない。友人夫婦には、お気に入りの場所だが、ここにもやはりあまり人がいないのだという。

保育園も二人の二歳児が通う所と、もう一軒を通りかかったので見せてもらった。

木造の平屋建てで、建築様式が洒落ている。そして都内には見られない敷地面積。

僕も、愛知県一宮市で育ち、保育園は田んぼの中にある広々としたものだった。小中もそれに似た環境だったから、それが普通だと思うが、23区内で暮らしていると、それはありえないスペースなのだと思い知らされる。

そりゃ気球だって浮かぶ。僕には初めての体験だったけど、これだってこの地では別に珍しくはないし、乗馬クラブで馬にも乗れる。

彼らの子供は、心地よいスペースの原風景の基準をこの町のサイズに持って生きていくのだろう。

どこに暮らすのかで、出会う人、出会う職、空間の感覚が変わる。自分たちもそうだし、次の世代にも大きな問題だ。

都会には都会のいいところがある。正確に言えば、今住んでいる品川にもかつて田舎で今は都会の東京には庶民の歴史が息づいている。そういうものは、このブログでも時々書いているが、好きなところだ。

一方で、空間だけは如何ともしがたい。僕たち家族も、どこに定住するのか、どこかのタイミングで決めなければならない。それとも、それはおのずと決まるものなのか。

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