錆、転じて然び

侘び寂びの寂びは、然びという漢字を当てることもあるそうだ。

然(さ)びとは、時間の経過とともに、内面の本質が外面に出てくることを言う。

その漢字の意もしっくりくる。

寺社をはじめとして、日本の侘び寂びを感じる建築物には、古くなっていくことで見えてくる素材の本質的な姿を活かしていると感じる。たとえば、できたてのときは、真っ赤や金色に塗られていた鳥居や仏像が経年変化とともに、元の素材の素地と融合した美、然びへと変わっていく。

ちなみに、写真は目黒不動尊の本堂の扉。多数のグラデーションが美しい。反面、思い出したのが上海に暮らしていた時の静安寺。聞けば、三国時代(紀元後3世紀)にはあったというが、文革で粉々に壊され今あるのは金ピカ、鮮やかな朱色の現代建築。北京の故宮にも似た印象をもったものだった。それぞれの国にはそれぞれの美があるので、別にそれはそれとして。

僕は、道具としてつかうテクノロジーについては新しいものが好きだけど、場を形作る建築物は年を重ねたものに居心地の良さを感じる。時代を超えて集った人々の気配を感じるし、ずっとそこあるという不動の落ち着きへと繋がる。

古くても、美しく掃き清められ磨かれている部分。寺院もそうだし、日本の古い銭湯でも似たことを感じる。

人にしても、生き方、働き方、衣食住に、その人の歴史の経緯が浮かび上がる。なるべくなら心身ともに、自分の素の部分を活かした風でいたいものだ。それは自分の良さとか、好きな部分をなるべく表にしながら過ごせる時間や場を増やしていけることかなと思ったりする。

ひとつの時間、ひとつの場、ひとつの持ち物etc…

そういう全体を構成している部分に関心が向くようになった。

気がつくと来月には、40歳である。

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