なぜ図書館のような家に住みたいと思うのか

@THE BOOKSHOP THEATRE

確か、18か19歳のときに、図書館のような家に住みたいと思いはじめた。

その影響は、立花隆さんや司馬遼太郎さんの仕事場を写真で見て感銘を受けたから。当時、僕は彼らの著作に強く惹かれていて、将来はそういった自ら情報を収集し、それを活かして何かを書き上げる仕事をしたいと漠然と考えていた。

妹尾河童さんの「河童が覗いた仕事場」で登場する立花さんの猫ビルの中は、さながら書庫の中に仕事場があるといっても過言ではない。

素早く探し出せる、集めた情報を常に目に触れられるように所蔵するということが、入手した書籍という知の結晶体を有効に活かすことだと20代になってすぐ、ぼくは気がついていた。

20代から30代へとなっていく中で、蔵書は着実に増えていった。30才になるまでちょくちょく引っ越しをしていたので、動きやすい無印良品の組み立てと解体がすぐできる本棚を6個ほど、広くもない6〜7畳の部屋に置いていた。部屋が狭くなることは、さして苦にならなかった。

30才を過ぎてしばらくすると、中国へ転勤することになった。長らく望んでいた海外赴任であったので、何の迷いもなく、持っていた家財道具の多くを処分したり、実家に送ったりして身軽に出かけていった。

そのとき、当然、多くの本は持っていくことができず、それは実家の倉庫へとダンボールに入れて積み上げられることになった。一体、これを引き取りに来ることはあるのだろうかと思うほどの量にはなっていた。

その中から、どうしても持っていきたい本を250冊抜き出して、当時流行していたPDFの自炊サービスに出すことにした。ちょうど2009〜10年のことである。250冊には、文庫、単行本、中には写真集も含まれた。あっという間に、裁断されPDFになって納品されてきた。それを当時やはり出たばかりのiPadに入れた。

たくさんの本をiPadに入れて異国で暮らすのは、それはそれで移動しやすくて、よい選択だと思っていた。しかし、結局、iPadに入れて読んだのは漫画くらいで、本とじっくり向き合うことはかなり減ってしまっていた。(写真集は、スキャンされたことで色彩面で台無しになった・・・)

読んでいたのは、一時帰国した際に買ってきた紙の本やどうしても裁断したくないと思った本だちだった。

なぜだろう。

ひとつは、情報としてハードに眠ってしまい、その存在に気が付かなくなりがちだ。新書のようにある1〜2時間でさっと読み切ってしまう本や漫画ならいいが、読みづらいが長く付き合うべき本はある。それが電子書籍だと難しいのだ。

次に、情報には、著者やそのチームが読者にその内容を伝えるために熟慮したデザインが詰まっている。タイポグラフィ、レイアウト、間など、これはイギリスに留学中にブックデザインの指導を受けた時に知った。情報が伝達を媒介するモノになるためには、手に触れられる形や、それにふさわしい姿がある。

もう一つあるとすると、それは背表紙を定期的に眺めることの効用である。

部屋の風景の一部として、本のタイトルが常にそこにあり、ときどきそれを目にしては思い出し、またぼんやり考えては忘れを繰り返す。突然のひらめきは、そんな何気ない日常の中から生まれてくることも多い。

本の背表紙は、いわば付箋に書いたアイデアを定期的に見返すような役割をしてくれているのだろう。

2009〜2014年まで、海外での生活を終えて、再び東京に戻ってきた。2014年、部屋を見渡すと今や書棚の一つもなくなっていた。できるだけ身軽にしておいた方が、今後の移動も楽でよい、とそのときはまだ思っていた。

しかし、本たちを散り散りにしてしまってから、良書をじっくり読み込み、それを反芻する機会が貴重だと考えるようになった。特に、SNSが全盛となり以前に比べてより細切れの情報を通過させるように見ることが多くなった今、時流に流されない環境に身をおくことが集中するにしても、創作するにしても大切である。

新しい本を次々求めていくのもよいし、そうした中からよいものを繰り返し読み込む。それもまたよい。

そうなると、改めて、二十歳前後に目指していた環境を再構築する必要がありそうだ。仕事場としても、生活の場としても。そして、根をはって暮らすことが必要だ。

 

PS

写真は、ロンドン時代2013年ごろ出入りしていた演劇場が一緒になっているユニークな書店。

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