あま市七宝町から名古屋駅を臨む

名古屋駅から車で西へおよそ20分。あま市七宝町は、我が故郷である。人口2万人ちょっとの名古屋市や津島市に通勤通学する人々が多い。
故郷に戻ると、小中学生の頃の通学路をぐるっとして定点観測するようにしている。

右端に小学校(秋竹)が見える田園風景は、都市計画の制約でずっと農地。小学生のときは、マラソン大会のコースで、放課後には白い柵の内側にある小切戸用水で週2〜3回は釣りをした。

左の方に見える名古屋駅ビルを除けば、自分が小中学生だった30年前とほとんど風景に変化はない。こんなところは名古屋や東京の中心部にはありえないだろう。いや、同じ町内であっても、開発の手が入れば、昨年まで田んぼだった区画が20件あまりの住宅地に早変わりした地域もある。

田んぼは、季節によって彩りを帰る。やっぱり青空のときが美しい。星空もよい。

中央やや左に見える森のようなところは、秘密基地のような入り口の先に何があるのか小学生のときから謎だった。昔家だったが、火事で消失しただとか、いろんな噂があった。

確かに都会では高層ビルに登れば見渡すことができるが、地に足をついて見渡すことは難しい。自分の故郷には、それがある。

生まれてからずっとここに住んでいる60代後半の母は、この景色が好きだという。僕も40代になって、こういった田園風景が暮らしにあることは豊かなことだと思うようになった。

いろいろな都市に住むことで相対的なそれぞれの良し悪しを知ることができるようになった気がする。一方で、あっちこっち行っていると、その場に紐づく記憶からは離れ離れになりやすい。ここにいると、中学校で部活で真っ暗な中この道を通ったことや、亡くなったばあちゃんがよく道の先にある喫茶店に行っていたことを思い出す。少なくとも6歳ごろこちらに来てから12年程度の記憶がある。

10〜20代にかけて兎に角外へ出ていきたいと望み、実際に出ていった。まずは名古屋、そして東京、そして海外。叔母から、歳取るとこういうところもいいって思えるんだわぁ、と言われ、そんなときは永久に来ない!と言い張ったものだが、それから20年経ちすっかり言われる通りになったのだった。

日常からふと離れて、優しく迎えてくれる故郷があることは、幸せなことだ。

あま市七宝町:2010年の廃止時の人口22,946人(現あま市約8,8000人)

出身著名人:前田利家妻・まつ、堀田あけみ