「いのちを呼びさますもの」

学生時代からの友人の一人が単著作品を出版した。

中身はもちろん、装丁にも力を注いだと聞いている。書店で見た時、最近の本にしては重厚でしっかりとした佇まいで書棚に並んでいた。良質の文章には、それが定着しているのに相応しいモノとしての形態があると思う。そういう形をしている。

博覧強記とは、稲葉君のことを言うのだと思う。本業の医師としての仕事と平行して実に多くの心技体を通じた研究、文化活動を行っている。そのような三十数年の生を通じて人として、医師としてのあり方に多義的な意味で美意識を強く感じる一冊。日々の読書と臨床から、沸き立つ仮説を臨床と人生全体で検証し得た気づきが散りばめられている。

3章構成で病や健康、医療に対する概念を拡張してくれる。

「おわりに」の冒頭「現代は、外向きの社会的な自分と、『いのち』を司る内なる自分とが分断されようとしている時代」との指摘に、悪くなったら病院へ行くのではなく、暮らしそのものから癒やしを得て健やかさを持続していくことへの見直しの時期に来ていることを気付かされる。

3章のアール・ブリュットとして紹介されている数々の作品からは、自らに向き合い思索と創作が癒やしにもなることは自分でも実践してみたいと思えたことの一つ(いや、既に実践している?!)。外に発表して価値を出したい(売れたい!)と思うのではなく、自身を養生する行いにあたる。

ジャーナリングのような日記を記すことも、内省の一つのプロセスと言えるであろう。振り返ると、20代、30代と文書を記してはブログにアップするその行為自体が、何ものでもない自分、仲間の数人に向けて開いていたチャンネルの一つとして機能していたのかもなと思った。青春の迷いや悩みと少しの孤独もあった。

だが、幸せだと感じると、振り返ることも少なくなる。

毎日を新しい一日として生きることのすばらしさへの言及がある。「今日という日は、残りの人生の最初の一日」というタイトルの本も20代の頃に読んで感銘を受けたものだが、言葉ではわかっていたつもりだがなかなか意識的にそうすることはむずかしい。しかし、自分自身もちょうど子どもを迎えるタイミングで否応なく新しい感覚があって、子と関わる中で有限で不可逆な時間に対する意識、自分や周囲の人への視点も変わった。それはそれは強く豊かな力が作用していることを実感する。

何かに気づくことには、時間がかかるかもしれない。一日のときにもあれば10年、20年とかかるかもしれない、という一節も納得というか、自分の怠惰に安心するわけにはいかないが、それでもそういうものかもなと思える。

養生という言葉が途中出て来るが、養生するために自分なりに「美」のある暮らしを頭ばかりではなく手を動かしながら見直してみたいなとも思った。そういう意味では、この本はタイトル通り「いのちをよびさますもの」について語っている。